紙幣から学ぼう!フィリピン文化と歴史 20ペソ編

紙幣から学ぼう!フィリピン文化と歴史 20ペソ編

ブログ「DIY English」の制作者「大葉かむ」です。

紙幣や硬貨には、その国に関する多くの情報が含まれていますよね。また、そのクオリティから国のレベルも分かります。

日本の紙幣は「世界一綺麗」といわれていますが、フィリピンの紙幣は「世界一汚い」といわれています。とにかくフィリピンでは、紙幣をくちゃくちゃにします。特に乗り物に乗る際は、リュックの小さいポケットやズボンのポケットに小銭と一緒に入れてしまいます。また、露天でも小さい額の紙幣が流通するため、すぐに汚くなるのです。

今回は、そんなフィリピンの20ペソ紙幣から歴史などを紐解きたいと思います。テーマは、こちらです。
20ペソの表面
20ペソの裏面

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1. 20ペソの表面

Surface Of 20 Peso

まず、目に付くものは、いくつかの文字でしょう。もちろん、これらは英語ではありません。すべてがフィリピン語のため、よくわからないと思いますが、上から順に、

REPUBLIKA NG PILIPINAS
フィリピン共和国

ANG SALAPING ITO AY BAYARIN NG BANGKO SENTRAL AT PINANANAGUTAN NG REPUBLIKA NG PILIPINAS
この契約はフィリピンの中央および立法共和国の銀行により提供されています。

PINAGPALA ANG BAYAN NA ANG DIYOS AY ANG PANGINOON
世界は神の贈り物であり、主である。

RODRIGO ROA DUTERTE
ロドリゴ・ロア・ドゥテルテ
Pangulo ng Pilipinas
フィリピン大統領

NESTOR A ESPENILLA JR
ネストル・エスペニリャ
Tagapangasiwa ng Bangko Sentral
中央銀行マネージャー

DALAWAMPUNG PISO
20ペソ

と書かれています。これらは、どの紙幣もおおよそ同じ内容ですが、サインをしている人の名前や、紙幣の金額が変わります。

また、右下の20の数字の上に模様のようなものが4個あります。これは、バイバイン(Baybayin)と呼ばれるもので、スペインに統治される前まで使われていた文字です。意味は

PILIPINO
フィリピン人

です。

次に紙幣全体を見て下さい。フィリピンの紙幣の表裏には、国旗を意味するデザインが施されています。こちらも、全ての紙幣でデザインが同じです。

ここからが、20ペソ独自の説明となります。

まず、中心に書かれた肖像画ですが、マニュエル・ルイス・ケソン・イ・モリーナ(Manuell Quezon)で、フィリピンのコモンウェルス(独立準備政府)初代大統領です。なお、ケソン市の名前も彼の名が由来です。

Quezon City

彼は、1878年8月19日にタヤバス州(現在のアウロラ州)のバレル町で生まれました。サン・フアン・デ・レトラン大学(タガログ語版)文学部を16歳で卒業した後、1899年にサント・トーマス大学法学部を中退して、アメリカ合衆国からの独立運動に参加するためにエミリオ・アギナルドの革命軍に参加しました。その後、1903年に卒業、司法試験に合格した後、1年間弁護士として働きました。

1905年に、タヤバス州知事選に当選し、知事を2年間務めています。1907年の第一回総選挙では国民議会議員に当選、与党院内総務を務めました。1909年には、駐米委員に任命されています。

1916年、将来の独立を盛り込んだアメリカのジョーンズ法(フィリピン自治法)の成立に尽力したことで、二院制議会の上院議長に就任しました。1935年、新憲法が国民投票で批准され、総選挙でコモンウェルスの大統領に選出された。

しかし、大統領再選の1941年12月に日本がアメリカに宣戦布告し、翌年の1942年に日本がフィリピンを占領したため、渡米し亡命政府を樹立しました。

そして、フィリピン完全独立を見届けることなく1944年8月1日にニューヨークにおいて、持病の肺結核でその障害を終えました。

次に紙幣の左下と右下にそれぞれ、

FILIPINO AS THE NATIONAL LANGUAGE 1935
1935年に国語としてフィリピン語が誕生

MALACANAN PALACE
マラカニアン宮殿

と印字され、それぞれにイラストが印刷されています。

どちらも、マニュエル・ルイス・ケソン・イ・モリーナに関係が深いものとなっています。

1935年に国語としてフィリピン語が誕生
フィリピンで話されている諸言語は、一般に約80ほどに分類されていますが、細かな方言差まで含めると187種類におよびます。

その中で8大言語として、タガログ語、セブアノ語、イロカノ語、ヒリガイノン(イロンゴ)語、ビコール(ビコラノ)語、ワライ語、カパンパンガン語、ボホラノ語があります。

1935年は独立準備政府が発足した年で、憲法においてフィリピン諸語の1つを国語として育成することが謳われました。つまり、フィリピン語の誕生です。しかし、厳密にはこの時点で完全なフィリピン語を成していません

まず、1937年の第1回フィリピン議会の決定を受けて、国立言語研究所が設置され、その後、1973年の憲法で、タガログ語をピリピノ語としてフィリピンの共通国語として発展させることを謳ったのです。

そしてに1987年の憲法では、ピリピノ語をフィリピノ語と改称し、タガログ語をベースにセブアノなど他の諸語も取り入れ、フィリピン全土の共通語として機能させることを正式に定めました。

つまり、今のフィリピン語は1987年に生まれたことになります。

マラカニアン宮殿
1750年竣工されたもので、元々はスペイン人貴族ルイス・ロチャ(Luis Rocha)の夏の住まいとして建てられたものです。

1825年より1898年頃まで、スペイン政府のフィリピン総督の別宅としても使用されました。

しかし、米西戦争に勝ったアメリカ合衆国がフィリピン独立派住民(フィリピン第一共和国)に引き渡たすことなく、自らの管理下として接収しました。また、アメリカの植民地時代には総督の官邸として使用されたため、マラカニアン宮殿も増築が施されました。

そして1935年、アメリカ合衆国の影響力の元、将来の独立に向けてフィリピン・コモンウェルス政府が発足します。この際、初代大統領であったのマニュエル・ルイス・ケソン・イ・モリーナが「マラカニアン宮殿」に入居することとなり、それ以降はフィリピン大統領官邸として機能することとなりました。

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2. 20ペソの裏面

Back Of 20 Peso

20ペソの裏面にもフィリピン語で金額が分かるように

DALAWAMPUNG PISO
20ペソ

と印字されています。

また左側に地図が印刷され、そのそばに

Banaue Rice Terraces
バナウェ・ライステラス
UNESCO World Heritage Site
ユネスコ世界遺産

という印字とともに、山のイラストが印刷されています。

Rice Fields

こちらは、フィリピンのルソン島北部のイフガオ州の「バナウェ」(地図の丸印)にあるライステラスです。一般的に、テラスは最小限の設備で、海抜約1,500メートルに位置し、ほとんど手作業で作られたと考えられています。

「コルディレラの棚田群」として世界遺産にも登録されているため、UNESCO World Heritage Site(ユネスコ世界遺産)の印字がされています。

テラスは先住民族の先祖によって、山々に彫られたもので、「Eighth Wonder of the World(世界八番目の不思議)」と呼ばれることもあります。世界の八番目の不思議とは、世界七不思議に次ぐ注目すべき構造物を指すために使われる言葉です。なお、世界七不思議も時代とともに変化し、たくさん存在しています。

Seven Wonders Of The World

また、下のほうに動物のイラストの印刷と

Asian Palm Civet Paradoxurus hermaphroditus
アジアのパームシベット ジャコウネコ

の印字があります。

Paradoxurus Hermaphroditus

ジャコウネコといえば、香り高く、世界一珍しくて高価な「カペ・アラミドコーヒー」として有名です。なぜなら、このカペ・アラミドコーヒーが夜行性動物であるこのジャコウネコの糞から作られるからです。

Kape Alamid Coffee