紙幣から学ぼう!フィリピン文化と歴史 500ペソ編

紙幣から学ぼう!フィリピン文化と歴史 500ペソ編

ブログ「DIY English」の制作者「大葉かむ」です。

紙幣はその国の経済を映し出す鏡ともいえる存在です。フィリピンのマニラは近年、急激な成長を遂げており、高額紙幣が頻繁に使用されています。10年ほど前までは低額紙幣の需要の方が高かったのですが、モールなどの高級商品が立ち並ぶ場所が数多くでき、毎日多くの1000ペン紙幣が飛び交っています。

しかし、一歩路上にでると露天や交通機関などで、今もなお20ペソや50ペソなどの低額紙幣や硬貨が頻繁に使用されています。その原因として、国民間における貧富の差があります。

フィリピンでは、大学を卒業しなければまともな職業につくことができません。しかし、有名大学の学費は高額で、平均年収を軽く超える大学も存在します。また、中国、韓国からの企業進出も激しく、フィリピン自体が食い物にされている部分も多々あり、良い環境とはいえません。

このような急成長の下、500ペソ紙幣や1000ペソ紙幣の需要が高まっているわけですが、今回は500ペソ紙幣について説明したいと思います。テーマは以下の通りです。
500ペソの表面
500ペソの裏面

Advertisement

1. 500ペソの表面

Surface Of 500 Peso

それぞれの紙幣には共通部分があり、同じ文字が印字されています。その共通部分については、すでに20ペソの記事で説明していますので、そちらを参照してください。

さて、日本では紙幣に複数の人物が描かれることがないため馴染みがないでしょうが、500ペソには肖像画として2人の人物が描かれています。みなさんも聞いたことがあるかもしれませんが、描かれている人物はアキノ夫婦です。

右の夫がベニグノ・シメオン・アキノ・ジュニア(Benigno Simeon Aquino, Jr.)、そして左の妻がコラソン・アキノ(Corazón Aquino)です。

夫の名前については、通称がニノイであったためニノイ・アキノ(Ninoy Aquino)という呼び名で知られており、日本人もこちらの名前の方がよく聞かれたかと思います。また、妻にも通称としてコリーという名があります。

ベニグノは、1932年11月27日にタルラック州コンセプシオンで、地元の名士の家に生まれました。

祖父はエミリオ・アギナルドの側近として活躍していました。また、父のベニグノ・アキノ・シニア(Benigno Aquino, Sr.)もホセ・ラウレル政権下で活躍した政治家でした。しかし、太平洋戦争時の対日協力者として批判を受けました。そして父の死後、ニノイは大学を中退し、ジャーナリストの道を進みます。

そんな彼にも1954年に転機が訪れます。この年、彼はラモン・マグサイサイ・イ・デル・フィエロ大統領(Ramón Magsaysay y del Fierro)の下で働いていており、反政府グループであるフクバラハップのリーダー、ルイス・タルク(Luis Taruc)を説得して投降させるようにという命令を受けたのです。

彼は、4ヶ月にも渡る説得の末に、タルクに無条件投降をさせることに成功したのです。この出来事は、彼の名声を一気に高め、わずか22歳にしてコンセプシオン市の市長に就任することとなったのです。そして同年、後の11代フィリピン大統領であるコラソン・アキノと結婚します。

1961年、タルラック州の知事に当選し、1966年には自由党の幹事長に就任します。さらに1967年には35歳で上院議員に当選しており、これはフィリピン史上最年少での上院議員当選の記録となっています

しかし1972年、マルコス大統領により全土に戒厳令が敷かれたことで、ベニグノは反政府側の危険人物に指定され、政府転覆の陰謀と武器の不法所持、殺人などの容疑で、逮捕・投獄された後に、1977年に死刑宣告を言い渡されます

ここで、更なる展開が訪れます。それが1980年、ベニグノがアメリカ合衆国で手術を受けるという名目で、フィリピンから追放されるのです。これには、人気のあるベニグノを死刑にすることが更なる国民の反感を買うとマルコス政府が考えたからとされています。

後の1983年8月21日、彼を乗せた中華航空811便がマニラ国際空港に到着します。当時、空港周辺には3万人の国民が集まり、機内にはベニグノの帰国を取材するために多くの取材陣が乗り込み、2台のカメラによって撮影されていました。

そして悲劇が訪れます。到着後、ベニグノが空港に降り立った瞬間に、マルコス政権によって彼は暗殺されたのです。

当時、ベニグノは機内に乗り込んできた3人の兵士とともに降り立っており、兵士によって撮影も止められたため、カメラで現場を捉えることはできませんでした。

このため、事件後の811便の乗客による証言から、兵士によって射殺されたという証言がある一方で、フィリピン政府は、彼がタラップを降りて数メートル進んだところで、空港警備員を装った男によって、357マグナム拳銃で背後から射殺されたという発表がなされたのです。そして、政府は、その犯人は左翼ゲリラ組織「新人民軍」のロランド・ガルマン(Rolando Galman)による単独犯行で、治安警備の兵士により射殺されたとも発表しているのです。

もちろん、国民がこのような説明で納得するはずもなく、反マルコス運動の勢いが爆発的に加速し始めることとなります。

1983年8月31日、サント・ドミンゴ教会で行われたベニグノの葬儀では、200万人の人々が街頭に出て、見送っています。そして、この暗殺事件によって、1985年のエドサ革命(EDSA Revolution)ヘと繋がっていき、最終的にはマルコス政権の崩壊となります。

さらに、マルコス政権の暴走は止まりません。

1986年、ベニグノ・シメオン・アキノ・ジュニアの遺志を受け継いだ妻のコラソン・アキノが、国民の不満を解消するために、マルコス大統領によって行われた大統領選挙に打って出たのです。そして彼女は、徹底した反マルコス態勢を貫いたことで、大多数の国民の支持を集めることに成功しました。

しかし、80万票にもおよぶ差を付けて勝利したにも関わらず、選挙管理委員会がマルコス政権の勝利を発表したのです。その結果、彼女を中心とした支持者たちが抗議運動を行い、マルコス政権崩壊に更なる拍車をかけることとなりました。

最終的には、エドサ革命によってマルコス大統領が亡命することとなり、20年以上にわたるマルコス独裁政権が終了することとなります。

そして1986年2月25日、ついにコラソン・アキノ大統領が誕生したのです。女性大統領の誕生は、フィリピン初だけでなく、アジア初という歴史に残る瞬間でもありました。

ベニグノ・シメオン・アキノ・ジュニアは今でもフィリピンの英雄として、絶大な人気があります。2010年に、この500ペソが発行された際に彼が暗殺されたマニラ国際空港は、ニノイ・アキノ国際空港へと改名がなされています。

さらに同年には、彼らの息子であるベニグノ・シメオン・コファンコ・アキノ3世(Benigno Simeon Cojuangco Aquino III)がフィリピン大統領に就任しました。

次に紙幣の左右に印字されている

EDSA PEOPLE POWER I FEBRUARY 1986
ピープルパワー1
1986年1月

BENIGNO S AQUINO MONUMENT
ニノイ・アキノの像

とそれに付随するイラストについてです。

ピープルパワー1
こちらは、すでに説明した1985年のエドサ革命で、別名としてピープルパワー1と呼ばれます。1と呼ばれている理由は、この後もエドサ革命が続くためです。

ニノイ・アキノの像
マニラ首都のマカティ、アヤラとパセオデロハ大通りの交差点にあるニノイ・アキノの像のことです。

Advertisement

2. 500ペソの裏面

Back Of 500 Peso

私たちには一見して分かりませんが、紙幣の両面には紙幣金額が分かるようにフィリピン語で、

LIMANDAANG PISO
500ペソ

と印字されています。

そして、地図と一緒に鳥と鍾乳洞が印刷され、地図のそばには

Puerto Princesa Subterranean River National Park
プエルト・プリンセサ地底河川国立公園

と印字がされています。

プエルト・プリンセサ地底河川国立公園とは、フィリピン諸島の南西にあるパラワン島の洞窟内に流れる地下川のことを意味しており、これらの自然を保護する目的で国立公園に指定されています。場所は、地図上の丸印の位置になります。ここは、世界遺産(UNESCO World Heritage Site)にも認定されています。

Puerto Princesa Subterranean River National Park

パラワン島自体が、「世界一美しい島」や「フィリピンの最後の秘境」と呼ばれており、観光地がたくさんあるところですので、一度訪れてみるのも良いでしょう。

次にイラストの鳥ですが、

Blue-naped Parrot
Tanygnathus lucionensis
コオオハナインコモドキ

と印字されています。

このコオオハナインコモドキは、オウムの一種で地元では「ピコイ」とも呼ばれていますが、今は絶滅危惧種にも指定されています。

Tanygnathus Lucionensis

コオオハナインコモドキは全身が鮮やかな緑色をしています。また、眼の先端から頭の後ろまで明るい青色が入っています。クチバシについては、明るいオレンジ色をしているのですが、紙幣では黄色となっています尻尾についても本来は黄色なのですが、こちらも紙幣では緑になってしまっています