紙幣から学ぼう!フィリピン文化と歴史 50ペソ編

紙幣から学ぼう!フィリピン文化と歴史 50ペソ編

ブログ「DIY English」の制作者「大葉かむ」です。

紙幣や硬貨は、その国の歴史や経済を色濃く表しています。その通貨を通して、その国について学ぶことは1つの興味関心を生み出すことでしょう。

今回は、「世界一汚い」といわれているフィリピン紙幣の50ペソについて説明します。水に濡れても大丈夫という特性と定期的に紙幣を新しくするという社会体質にあったアプローチをしているフィリピンですが、50ペソは微妙な立ち位置に立たされている紙幣です。それは20ペソの方が使い勝手が良く必要性をあまり感じないからです。まるで肖像画を表しているかのようです。

テーマについてですが、こちらになります。
50ペソの表面
50ペソの裏面

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1. 50ペソの表面

Surface Of 50 Peso

まず紙幣に関する共通部分については、20ペソの記事で説明しましたので、そちらをご覧ください。

次に、表の中心に書かれている肖像画についてですが、セルヒオ・オスメニャ(Sergio Osmeña)という人物です。

彼は1878年9月9日にセブ島で生まれました。学生時代は、サン・フアン・デ・レトラン大学で学び、その後サント・トーマス大学で法学を専攻しています。しかし米西戦争の影響で学業が中断してしまう事態におちいるのですが、1903年に最高裁によって司法試験の受験が認められ次席で合格することとなります。

この頃から、彼は20ペソの肖像画になっているマニュエル・ルイス・ケソン・イ・モリーナ(Manuell Quezon)と良く似た人生を歩み出します

学業が中断していた1900年には、彼が創設したセブの日刊紙「エル・ヌエボ・ディア」を通して、平和的手段による独立運動を推進しています。

1904年にはセブ州知事に就任し、1906年に国民党の初代党首となっています。さらに1907年の第一回総選挙では国民議会議員に当選することとなるのですが、ここでもケソンと良く似た人生を送っています。

しかし、1916年にケソンが二院制議会の上院議長に就任したの対し、セルヒオは下院議長への就任となりました。その後、1923年に上院議員に選出されているものの、ケソンの歩む道に対して一歩後ろを追従する形となっていきます。

事実、1933年には、独立使節団として尽力したアメリカ議会のヘア・ホーズ・カッティング法がケソンによって反対され、フィリピン議会で批准されず、タイディングス・マクダフィー法を持ち帰ったケソンが1935年のコモンウェルス成立時に大統領となっています。そして彼自身は、その下の副大統領というポジションに立つことになるのです。

最終的には1944年8月にアメリカでケソンが病没した事で、亡命政府の大統領に昇格するのですが、結局最後まで後手に回ってしまったわけです。

ケソンの死去後には、1944年10月23日にレイテ島のレイテ湾に帰還した後、コモンウェルス政府の復活を宣言し、1945年2月27日にマニラに帰還しています。しかし、戦後初の大統領選でマニュエル・ロハス(Manuel Roxas)に敗れたことで政界を去っています。

その後、1961年10月19日に83歳で死去しています。

彼の名前はセブ市中心街のフエンテ・オスメニャ(Fuente Osmena)の元となっており、街にはオスメニャ邸が建てられ、今ではオスメニャ記念館となっています。

次に紙幣の左下と右下にそれぞれ印字されている

FIRST NATIONAL ASSEMBLY 1907
1907年に第1回総選挙

LEYTE LANDING 1944
1944年にアメリカ軍の兵士がレイテ島に上陸

とそれぞれのイラストについてです。

1907年に第1回総選挙
1907年に第1回総選挙が行われ、即時独立を求めるナショナリスタ党が勝利します。

10月には、フィリピン議会が発足されますが、上院の役割を果たすフィリピン委員会との軋轢が激しさを増すなど、問題も多く抱えていました。

オスメニャとケソンの両名とも国民議会議員に当選しましたが、ケソンはその中でも与党院内総務を務めています。にもかかわらず、20ペソには第1回総選挙のイラストがなく、50ペソのオスメニャ側にこのイラストがあるとは、何とも皮肉に思えます。

1944年にアメリカ軍の兵士がレイテ島に上陸
マッカーサーレイテランディングメモリアル国立公園(MacArthur Landing Memorial National Park)にある銅像がイラストに描かれています。

マッカーサーレイテランディングメモリアル国立公園は、レイテ湾(Leyte Gulf)は、1944年10月20日にダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)将軍が日本の占領からフィリピンを奪還し、解放するために着陸した場所で、
保護地域となっています。毎年10月20日にはこの公園で記念式典も行われています。

ケソンが死去した1944年に大統領となったオスメニャがマッカーサーとともにレイテ島に帰還し、コモンウェルス政府の復活を宣言したことから、このイラストが描かれています。

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2. 50ペソの裏面

Back Of 50 Peso

50ペソの裏面にも表面と同様に金額が一目で分かるようにフィリピン語で

LIMAMPUNG PISO
50ペソ

と印字されています。

そして、地図と一緒に魚と風景が印刷され、地図のそばには

Taal Lake
タール湖

と印字がされています。

タール湖は、フィリピンのルソン島にあるタール火山のカルデラ湖のことです。首都マニラの中心街から南に位置し、60kmほど離れています。地図の丸印がその位置にあたります。地元ではタール湖よりもそのタール湖にある火山が有名なため、タガイタイ(Tagaytay City)の火山と呼ぶことの方が多いです。

Tagaytay Volcano

また、タガイタイは避暑地としても有名なため、観光地として多くの外国人が訪れるだけでなく、お金持ちや芸能人の別荘地としても知られています。

タール火山には船で行くことができ、火口には馬を使って登ることになります。かなり急勾配な上に火山灰が積もっているため、地面がやわらかく馬もすべるので少し怖いかもしれません。

Taal Lake
Tagaytay Volcano Climbing By Horse

また、イラストの手前にあるタール山(火口が湖になっている)の方が有名なため、そちらに登ると勘違いされている観光客が多いようですが、休火山のため実際には奥の山に登ります。

次にイラストの魚ですが印字として、

Maliputo Caranx Ignobilis
ロウニンアジ

と書かれています。

一般的にジャイアント・トレバリー(Giant trevally)と言われている魚です。紙幣に描かれているため、小さく見えますが名前のとおり、大変大きな魚です。この魚は、大きい個体で体長180cm、重さ80kgあり、ダイバーからは観賞魚として、釣りをする人からはルアー釣りの対象魚としても人気があります。

Maliputo Caranx Ignobilis

フィリピンでは、この魚を実際に食べることもできます。特にパラワンなどの観光地へ行くと出されることがよくあります。