英語学習において「学習」と「勉強」の違いは何?

英語学習において「学習」と「勉強」の違いは何?

ブログ「DIY English」の制作者「大葉かむ」です。

私は、普段から学習という言葉をよく使います。なぜなら、勉強という言葉を使いたくないからです。

みなさんは、普段「英語勉強」と言っていますか?それとも「英語学習」と言っていますか?また、それぞれにどのようなイメージを持っているでしょうか?

社会人の方は、勉強といわれたら「受験勉強」を思い出してしまう人が多いのではないでしょうか?「学習」と「勉強」、厳密な意味の違いを理解している人は意外と少ないかも知れませんが、みなさんが持っているイメージは、それほどかけ離れたものにはなっていないと思います。

イメージだけで考えると、勉強は強制的にやらされている感じが強いですし、学習というと自主性が強く感じられます。また、学習の方が良いイメージ、良い言葉に使われている気がします。

しかし、どちらの言葉も使われている似たような言葉も存在します。例えば、「自主勉強≒自主学習」です。逆に、学習塾はよく聞くけれども、勉強塾という言葉は聞きません。受験勉強もそうです。受験学習とは言いません。

そこで、この2つの言葉の本当の意味を知ることで、英語学習に活かせる部分があるか考えてみたいと思います

今回は、「学習」と「勉強」の明確な違いを理解したいと思います。テーマは2つです。
一般的な意味と学校教育での意味
英語勉強ではなく英語学習

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1. 一般的な意味と学校教育での意味

Two Meanings Of Learning And Study

日常生活において、つまり一般的な意味として、「勉強」と「学習」には明確な違いがあります。

「勉強」は、学問や知識、技術などを身につけるために学ぶことを言います。また、将来のためになる経験であったり、それらを経験することの意味も持っています。この後者の意味が「学習」との意味の違いを曖昧にしています。これは予断ですが、関西などでは値引きをすることを「勉強する」ということがあります。

次に「学習」ですが、漢字が持つ意味のままなのですが、学び習うこととなります。また、経験を繰り返すことにより環境に対応できる行動などを習得することの意味もあり、これは人間だけなく、動物も行っていることです。

つまり、「勉強」は人間だけが行う行動であるのに対して、「学習」は生き物全体が行うことができる行動ということになります。

ここで2つの言葉を比較してみると、共通点としては、「学問や知識、技術などを身につけるために学ぶ」ということになります。これに対して違う部分は、勉強が「経験をするまで」のことに対して、学習は「応用が利くレベルまで昇華する」という点です。

つまり、「勉強」とは「学習」するための手段ということになります。

ここまでは、日常生活における2つの言葉の違いです。しかし学校、つまり学校教育においては意味が少し違ってきます。

学校教育において、「学習」は勉強によって得られた知識などを自分のものとして身につけることであり、「勉強」は学習するための手段となるのです。ここまでであれば、先ほどの一般的な意味とほぼ一致するのですが、これに加えて学校生活で学ぶ先生や友達との付き合い方など、人間としての成長も学校教育の「学習」には含まれます

つまり、学校教育における学習とは、勉強面だけでなく、学校生活も含めた全体を指すものになっているのです。そして、2つの言葉の決定的な違いは、最初に書いたみなさんのイメージどおりのもので、「勉強」は教えられるもの、「学習」は分からないところを自分自身で学ぶこと、もしくはその過程を指します。さらに、「学習」は勉強で得た知識を繰り返し使うことで習得するという大きなプロセスを必要とする点も教育現場ならではの定義となっています。

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2. 英語勉強ではなく英語学習

Learn English Not Study English

勉強は、本来の意味が努め強いられるというもので、強制的に努力を求められるということになります。

つまり、義務教育という言葉1つで片付けることができるものとなっています。先生がいて、授業を受けながら必要な知識を身につけることが「勉強」であり、義務教育においては、本人の意志に関係なく、決められた時間椅子に座らされて行われる、いわば強制労働のようなものなのです。

これは、学習塾であっても同じことで、学習塾で行われていることは、名前とは裏腹に学習ではなく勉強です。そもそも、これらの目的自体が受験勉強の一環であり、良い高校、良い大学に入るためのステップなのですから、当然のことです。

では、なぜ良い高校、良い大学に入らなければならないのか?それは、将来良い企業に勤めて、良い給料を貰うためだからです。なぜ、良い給料がいるのか?生活していく上でお金は必要であり、将来家族を持つとするならば、なおさらお金がいるからという理由になるでしょうか?

これだけ見ても、考えがネガティブな上に成り立っているプロセスです。この状況で勉強が楽しいという気持ちになる方が、少数派であることは間違いないでしょう。むしろ、この少数派は「勉強」を「学習」に昇華できたからこそ、勉強が楽しかったのではないでしょうか?

社会人になってから、新たに「生涯学習」という名目で何かに取り組む人がいます。みなさんも「生涯学習」として英語学習に取り組んでいることでしょう。社会人になって「生涯学習」として、新たなことに取り組むと楽しくてしかたがないという人がたくさん現れます。

そもそも、その「生涯学習」は誰かから強制的やらされていることではなく、自分の意志で取り組んでいます。もし、その学習が苦痛であるなら自分の意志で、すぐに辞めれば良いのです。また、受験勉強のように誰かと競わなければならないとか、成果を求められる、タイムリミットがあるといった過酷な条件があるわけではありません。

さらに、勉強と違い、何かを習得することに重点が置かれており、ゴールが明確であるとともに、その目標に向かって自分自信が一歩一歩近付いていくことを実感しながら学ぶことができるわけですから、学校教育とは一線を画すものとなっています。

そして、学習は先生がいるわけではなく、基本的に独学となります。つまり、次の学習内容に進むかどうかは自分の判断にまかされおり、授業のように置いてけぼりにされることがありません。

自分自身が理解し、納得して初めて次に進めるのです。また、その過程で分からないことがあれば、寄り道をしてもいいわけです。全てにおいて自由があたえられているのです。

受験勉強の窮屈な環境で繰り広げられてきた勉強から、自分自身の自由意志で知識を得る環境へと変化して、学問がおもしろくないはずがありません。

もし、今みなさんが行っているものが、「英語学習」ではなく、「英語勉強」だと思っているのであれば、一度自分を見つめ直した方が良いと思います。

強制力、時間的制約などから解放されているにもかかわらず、未だ自分は「英語勉強」をしていると自覚しているのであれば、それは苦痛を伴っているはずです。そのような状況で挫折しないほうが難しいでしょう。

そもそも、なぜ「英語勉強」と思っているのでしょうか?考えられる大きな理由は2つあると思います。

1つは、誰かもしくは何かから強制力を受けているからです。例えば、上司から言われて、昇進がかかっているからなどが考えられます。つまり、自分の意志で知識を蓄えようとしていないということです。もちろん、これを改善することは容易なことではありません。しかし、工夫を施して、全部ではなく一部だけでも、学習といえる内容にシフトできれば、以前よりもっと楽しく英語勉強が続けられるのではないでしょうか?

そして2つ目が、擬似先生を設置しているからです。これは受験勉強を長年に渡って行ってきた癖が抜けないからです。擬似先生となる典型的なものが参考書です。参考書の内容を覚えなければいけないという脅迫概念に捕らわれて、その結果参考書を先生としてしまっているのです。

むしろ、その参考書を使ってやっているというぐらいの気構えが必要です。あなたは参考書から自分に役立つ知識を見つけ出すレジャーハンターのようなものなのです。視点を変えれば、気持ちも変わります。大切なことは気持ちの持ちようなのです。

最後に日本には言霊という言葉あります。言葉に力が宿るというものです。もし、今「英語勉強」と口ずさんでいる人がいるのであれば、今この時点から「英語学習」に変えましょう。少しは力が働くかもしれません。